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ナムジャイブログ

その時は、深い婉曲

その時は、深い婉曲

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「この島にね、色んな秘密が、隠されているみたいなんだ!」

 こっそりと自分の秘密を打ち明けるように脂肪紋、裕太は眼を輝かせて、

颯太に言った。

すると、颯太は眼を丸くして、

「そうなのか?」と、身を乗り出して来る。

裕太は、大きくうなづくと、釣りばかりする、自転車屋の男性のことや、

不思議なヨーダ老人のことを、話始めた。

「どこかに、秘密の洞窟…神様の通り道が、あるんだって!」

一気に言う裕太に、颯太は眼をパチクリとさせた。

「すごいじゃないか!」

得意気に放す裕太を見て、ひどく驚いている。

いつの間にか、裕太は一人で雅培eleva organic、そんなとこまで調べたのか…と、

驚きもしたし、うらやましくも思うのだった。

「ここにはね…あの、死神まで来てるらしいんだ!」

興奮気味に言う裕太。

「もしかしたら…何かが起きそうな、気がするよ…」

裕太の真剣なまなざしに、颯太はただただ驚いて、目を

見張るばかりだ。

何か言わなくちゃ…と思い、ようやく

「ずいぶん、がんばったんだね」とだけ言うと、

裕太はかぶりを振って、

「違うんだ。実は、颯太が来る前に皮秒去斑 價錢
…少しでもいいとこ見せたくて、

 昨日ようやく、探し始めたんだ」と初めて笑う。

「それでも、すごいよ!ボクはまだ、なんにもしてないもん」



 いつの間にか、真っ黒に日焼けした裕太のことを、まぶしそうに

颯太は見つめた。

こんにちは、ニューヨーク在住のスタッフNobukoです。

このシリーズ「ねいたん」では、私が普段のアメリカ生活の中で、ネイティブのアメリカ人を中心としたコミュニティから見つけた【ちょっとくだけた、でも知っておくと便利な英単語】を1日1つずつ紹介していきます!

私たちの日本語の会話がそうであるように、普段の言葉は意外とざっくばらん。

だから、英語でもざっくばらんな英単語を知っておくことで、

●ネイティブや外国人の先生と
より仲良くなれたり…
●洋画の台詞のニュアンスが
深くちゃんと分かったり…
●英字新聞や海外の英語雑誌の見出しの
ジョークが理解できたり…

するようになります!だから少しの間「堅さを脱いで」覚えてみてくださいね♪

・・・・・・・っということで、今回韓国最高裁が日本の企業に植民地時代の徴用工への賠償を命じた判決。

ぼくも日本人である以上、不快な気持ちになる。

韓国も三権分立であるから、司法は行政から独立していなければならない。

従って、韓国の最高裁が出した判決は尊重すべき・・・。

しかし、この不快さ、納得できない気持ちはどこから出てくるのだろうと通渠公司(なるべく)冷静に考えてみようという気持ちになった。


・・・・・・・・

戦時中を含む植民地時代の賠償は、日韓の間で解決済みである。

これは国際法に照らして問題は無い。

今回の韓国側の理屈は、日本の民間企業が(本人の意思に反して)徴用したことは、違法であり賠償責任を負うというもの。

即ち、日韓の合意には、民間企業が行った不法行為は含まれていなかったと解釈できるというもの。

・・・・こういう解釈で間違っていないですか?

それに対し、日本政府側は日韓の合意には当然含まれていたものであり、ナンだったら国際法廷で裁いてもらってもいいですぜという姿勢。

しかし、国際裁判にするためには両国の合意が必要であって、韓国が合意するワケがない。

すると、このままだと新日鉄住金(旧新日鉄ね)判決に従い銅鑼灣通渠、原告一人につき1,000万円ずつ支払わなければならないことになる。

天下の新日鉄住金、その額が何十億円になったって、大した痛手ではない・・・とはならない。

この判決をいいことに韓国からは次々と同様の請求が止まらなくなり、影響は他の日本企業に及ぶ。

範囲が韓国だけに止まるはずがない、北朝鮮だって同様の請求を起こすだろう。

台湾だって、東南アジア諸国だって、もちろん中国だって裁判を起こしかねない。


韓国司法はそんなこと感知しない、判決は判決、法は法だからだ。(ホントかよ。)


・・・・・・・・

韓国は自分勝手な解釈によって、法を曲げる常習犯であることは間違いない。

不可逆的な合意であるはずの慰安婦問題(そもそも損日本購屋な問題あるのかが疑問だが)だって、一方的にホゴにする国である。

対馬で盗んだ仏像だって、証拠も無いのに倭寇が韓国から盗んだと無罪判決を平然と下す国である。

いくら日本が世界に訴えたって、外国からすればそれは日韓の二国問題でしょと相手にされない。

逆に面白がられるだけだ。

竹島問題だって、日本の首相からの親書を突き返した問題だって同じだ。

・・・ということは、日本は自分で韓国相手に戦い、正義を通すしか方法が無いのである。

だれも助けてくれない。

政府がいままで韓国を甘やかし続けてきたツケが来たのである。

いままで避けてきた争いに、本腰を入れて立ち向かうことがいま必要なのである。

そのためには先ずどうするか。

日本人が本気で怒らなければならないとぼくは思う。

いい加減にしろよ・・・と。

・・・・・・・・

そのためには、日本人は韓国を良く知る必要がある。

ヘイトスピーチじゃダメなのだ。

いままで日本人は加害者意識をずっと植え付けられてきた。

先ず、ホントーか?と疑うことからはじめなければならない。

日本政府も酷かったかも知れないが、朝鮮政府も酷かったんじゃないかと考えるのが第一歩。

そのためには、歴史を知らなければならない。

日朝の歴史は、縄文、古墳時代にまで遡る。

そして、朝鮮が拘る日韓併合、太平洋戦争、朝鮮戦争へと続く。

いくら植民地にされたといっても、歴史的事実として、日韓は共同して太平洋戦争において連合軍相手に戦った。

日本が敗戦した途端、韓国は戦勝国側に回り日本から賠償金を取ろうとしたのである。

流石に連合国側は呆れて却下したのだが、日本は韓国に対して名目を見舞金(準賠償)のようにして賠償金を支払ったのである。

(尤も、その賠償金は被害者には回されず、韓国政府は国の復興に使ってしまったのだが。)

この時点において、日韓は対等の条件で再スタートを切ったのである。

戦後70年を過ぎて、両国の力の差はご覧のとおりである。

・・・・・・・・

もし、韓国政府が日本と締結した賠償請求権を放棄した合意(1965年)に不備があると解釈するならば、日本側も理解が異なるとして、当時支払った賠償金(準賠償)の返却を求めるべきである。


韓国側が日本にイチャモンをつける問題は、じつは韓国国内問題なのである。

これはあくまでぼくが歴史から学んだもので、正確性を欠いているかも知れない。(こういう態度は大事なのである。)


人類はこれまで多くの戦争を経験してきた。

その過程で戦勝国と敗戦国は必ず生じるもので、戦後賠償という問題は避けて通れないものである。

しかし、国家である以上、「常識」以前に「品格」が求められるものである。

いったん締結された条約を、何十年も後になって蒸し返すのは「あさましい行為」として各国から糾弾されるべきである。


以上、日本人は大いに怒るべきであることの理由であります。

こんにちは、ニューヨーク在住のスタッフNobukoです。

このシリーズ「ねいたん」では、私が普段のアメリカ生活の中で、ネイティブのアメリカ人を中心としたコミュニティから見つけた【ちょっとくだけた、でも知っておくと便利な英単語】を1日1つずつ紹介していきます!

私たちの日本語の会話がそうであるように、普段の言葉は意外とざっくばらん。

だから、英語でもざっくばらんな英単語を知っておくことで、

●ネイティブや外国人の先生と
より仲良くなれたり…
●洋画の台詞のニュアンスが
深くちゃんと分かったり…
●英字新聞や海外の英語雑誌の見出しの
ジョークが理解できたり…

するようになります!だから少しの間「堅さを脱いで」覚えてみてくださいね♪

小学1年生の頃、私は担任の先生から「心配性」と評されました。
確かにその通りでした。遅刻はしないかとか排毒瘦身、忘れ物はしないかとかから始まり、学校生活に関するあらゆる事を常に心配していました。給食の時間など、ちゃんと当番の職責を果たせるか、時間内に
食べ終われるかなど、心配の山です。ですから低学年のうちは、給食時間が大変に苦痛でした。
時折、学校にいるだけで無性に不安になり、涙が溢れてくることがありました類固醇濕疹。ただし、私は人前では絶対に泣かない主義でしたので、休み時間に誰もいないトイレに行って泣いていた記憶があります。その時、小窓から見えていた山の緑が、今でも目に焼き付いています。
最近、ずっと忘れていたその時の記憶を、ふっと思い出しました灣仔通渠。その時のことを思えば、我ながら、随分強くなったものです。

さあ今日は、不思議と外に出たら、昨日、ぶどうを下さったご近所さんにあった。

 冷蔵庫の話を暫く話し「つぎつぎと壊れるね~~」と言いながら~~。

この間、掃除機も壊れて買い換えたところだから、ね。二人で笑いながら「次々だね~」・・・・ 



 久しぶりに、幼馴染のマドンナちゃんから、電話が入る。やはり、3週間ほど鬱状態だったとのこと。

「あなたが手紙くれて、いろんな案内くれたでしょ、ありがとうね」

「手紙出したことも忘れちゃってるのよ。よかったわ。元気でて~~」

「うん、もう、少しずつよくなったからね~~案内が楽しかったよ」

「そうかぁ忘れちゃったけど、なら、よかったわ~~」

「元気そうでいいね」

「そうよ。気力がなえると、私も駄目だけれどもね。気力でがんばる!」

・・・・しばらく、話したが、元気が少しずつ出たみたい。よかったわ。

 だれもいろいろとあるものよね。自分のことだから、自分で調整しないとね。自分のことだもん~~ね。

「パスティーシュ(pastiche)」という言葉がある。
これは文学で言えば、他の人の文体などを模倣して書いた文章のこと。
パロディ、二次小説や昔話などを少し改編したものまで、
パスティーシュの範疇に入れられたりする。
英語やフランス語でも"pastiche" という綴りを使うが、
その語源となるところを探ってみれば、イタリア語の"pasticcio" に到達する。
"pasticcio" には、1パスタ料理通渠公司 2 乱雑な仕事 3 錯綜、混乱 
4(音楽用語として) オペラや器楽の混成曲といった意味がある。
言葉は、感覚の類似性から来ているものとすると、この語源は何と「パスタ」。
パスタ、すなわち「混ぜ合わせる」が根源。
「模倣」とは「混ぜ合わせ」となる。

「模倣」と言えば「遊び」の一種と定義づけたのは、
フランスの遊学者ロジェ・カイヨワ。
「遊び」には、アーゴン、アレア、ミミクリー、インクリスの4つの類型が
あると説いている。
1)アーゴンは、囲碁、将棋、テニスなど敵と味方に別れての遊び。
2)アレアは、サイコロ、ギャンブルなど運を含んだ遊び。
3)ミミクリーは、模倣する喜び。
4)インクリスは、めまい、痙攣高壓通渠、トランス状態を作り出す遊び。

人には、3)の「模倣」する喜びというものがありそうだ。
寄席芸に声帯模写、形態模写などがあり、模倣することで笑いをとる。
もちろん、パロディも「模倣」の類型の中に含まれる。

一般的に「模倣」というものは「やっていけない」
ことに近い側面を持っている。
だけども、「パスティーシュ(模倣)」をうまく生かせば開香港公司、面白い分野ができそうだ。
注目を浴びる日は近い?

山崎豊子は『大阪づくし私の産声』で、阪神特殊鋼のモデルについて次のように述べています。


<モデルというと、小説の中の阪神特殊鋼は、山陽特殊鋼をモデルとしていると云われているが、これは作家の想像で特殊鋼の工場を建てることは不可能であったから、優れた特殊鋼技術を持つ山陽特殊鋼を見学し、その規模、生産設備などを下敷きにして、小説の中の阪神特殊鋼を作り上げたのであるが、工場見学した時、感動したことがある。
それは、戦後最大級といわれる大型倒産をし、厳しい世論にも叩かれた会社であるから、まだどれほど傷跡が残っているかという想像のもとに見学に行くと、電気炉工場はじめとして、圧延、製管などの工場にも張り詰めた熱気のようなものが感じ取られた。>
山陽特殊製鋼はベアリング鋼の製造においては、他社の追随を許さないほどの技術とシェアを持った会社ですが、昭和40年に過剰な設備投資により、一度倒産しています。(昭和49年には会社更生に成功しています)
しかも、昭和37年には大幅赤字に陥っていたにもかかわらず、社長の荻野一氏は昭和38年に高炉建設計画を発表しており、『華麗なる一族』には高炉建設が重大なテーマとして織り込まれています。

昭和49年の映画『華麗なる一族』では、山陽特殊鋼の電気炉でロケをしたようです。


小説でもこの映像の出鋼場面は、実に詳しく描かれており、元鉄鋼マンが読んでも間違いはなく、山崎豊子さんがよく取材、勉強されたことがわかりました。

ところで、阪神特殊鋼のモデルとなった山陽特殊鋼は姫路にありますが、小説では、その場所を灘浜の東端に移し、
<神戸港に臨んだ灘浜臨海工業地帯は、朝からスモッグにおおわれ、石油化学工場や、機械、造船工場から吐き出される煙が、北西の季節風に煽られて、海側の上空へ幾筋もの縞模様を描き出している。その中で一際、高い煙突から煙を吐き出しているのが、万俵コンツェルンの一翼である阪神特殊鋼であった。>と書かれています。


この場所は神戸製鋼の神戸製鉄所の場所なのです。
灘浜の神戸製鋼の高炉、製鋼工場は昨年から休止し、現在は圧延工場のみ稼働しているようです。

先日芦屋マリーナから神戸港までクルージングを楽しむ機会があり、神戸製鋼を沖合から見てきました。


写真中央の茶色い建物は休止している製鋼工場ですが、高炉は既に撤去されており、見えませんでした。鉄鋼業界の流れも速く、業界地図は昔とかなり変わりました。

昨日、なんだか凄く不愉快な事があって、ずっと心の中はくすぶっていました。


いつまでも若い気持ちでいようと思っていても、それは気持ちだけで、肉体的には辛いものも出てきてしまうのは仕方がないとして、同じようにそうはいかないのが、人との付き合いと環境だと思うのです。

ずっと続くと思われた友情がを時間やお互いの状況変化が引き裂いて行き、いつの間にか疎遠になったりもするでしょう。


逆三角形の人口分布図の日本で、つまり老齢化の進む日本では去暗瘡印、実はシニアだらけです。なり立てシニアからベテランシニアまで。

そうすると話題は、介護・年金・孫・病気みたいになって来て、終活の話も。でもこれは皆言っているだけで、自分にはまだまだ関係ない事だと、なんとなく無意識で思っているのではないかしら。

いやむしろ、そうでなくてはニコニコと生きてはいけないですものね。

だけど、その終活の事を想う時、つまり最大級のお片づけを考えると思うのです。

捨ての祭りです。

これは自分でやろうと思ったら、一気には出来ない事なので、なり立てシニアになったらボチボチと遣るべきことの一つですよね。


そんな事を考えていた今日この頃、人との付き合いにも半永久化妝、望んでいなくても「終わり」と言うものが来るのだと、しみじみと思うようになりました。

そのきっかけは、友人の夫の定年退職だったりなど、意外とつまらない事だったり。またはその人の病気と言う重い物だったり。

病気などは逆に離れてはいけないのではないかと思うと思うのですが、やはりその家族の事を想うと、そうはいかなくなることも多々あるのではないかと思います。

そうなってくると、なんだか新しい繋がりなどが欲しくなったりもするじゃないですか。


でもこれが結構難しいのですよね。

ここ数年ちょっとだけいろいろな事を始めていて、まだ友人とは言えないけれど、そこで知り合いになった方は、率先して人のために動こうとしたり学ぼうとしたりする人たちなので、なんだか居心地が良くて、良い刺激になっています。

それで気をよくしていたのか、またいろ肛門醫生いろな方とお食事をする機会が増えていたのです。


だけど一人の人と揉めました。

くだらないので理由などは書きませんが、まったく気分が悪い。

直接の揉めた理由の話は書きませんが、お食事会の時、彼女が乳がんで亡くなった友人の話を始めた時に、私はやんわりと姉妹と今友人がその病気なので大変で気持ちがへこんでいると、やんわり遠回しに話題同調の振りをして、終わりにしようとしたのです。

だけどおばさんはね、(ここが大事なのです)聞き手がどういう状況かを言ったとしても、自分の話したい話を貫き通して話すのですよ。

こう言う人を「BABAA」と言うのだ ! 怒っているので暴言。


そしてまた違う事で、腹が立つことがあったのです。

私は腹が立つと、マシンガントークになってしまう時があるので、言うなればいい年をして喧嘩みたいな感じ。

まあ、電話でのことだったのですが、最後は笑って、「またね~」なんて。大人だからね。

だけどやっぱりその人のメールは全件削除しました。


ブスーとムカムカしていたら、猫のももが真横にやって来ました。

その猫を撫ぜ撫ぜしていたら、急に笑いが込み上げてきて

「バカですねえ、私。」と思えてきたのです。


そう言えばももが私の傍に来る前にもう一件、既に昔に離れてしまっている人に、聞きたい事があって電話したのです。ついでに近況などを話し合ったのですが、この人はこの人でなんだかいろいろあって、詳しくは語らなくてもなんとなく分かるような気がしたのです。広いようで狭い世間なので、少々の噂は知っているのです。

彼女が言った「リセットしたんだ、私。」と言う言葉は印象的でした。

強いなあと思いました。知っている少々の噂は、結構きつい話だったからです。

「うん、それが良いよ。もうみんな昔の事だ。リセット、良いよね。」と私は言いました。

って、人には言える、私。

ああ。

でもそのリセットは、昔のしがらみは良いかも知れないけれど、他の繋がりも切るって事なのですよ。

寂しくはないのかって、ちょっと思ってしまったのです。


ももを撫ぜ撫ぜしていたら、私はリセットは出来ないなあと思いました。

ただ今ある現状を受け止めて、「仕切り直す」と思いました。


どのように ?

さあ ?


たぶん私は欲張りなのですよ。とりあえずは目の前のやるべきことを粛々と片づけていく事にしましょう。

今目の前に居る人たちを大切にしていけば良いや、ってな感じでしょうか。


一日、ムカムカした感情に囚われていたけれど、お仕事は順調でサークルの人との語らいも楽しくて、竜也さんの映画情報にときめいて、ご飯が美味しかったと家族に言われ、ドラマを見て楽しんで、疲れて布団に転がっていたら、夫が「火星が本当に真っ赤だな。」と言ったので、急いでベランダに出て見たのでした。

火星、本当に赤く輝いていましたね。美しくて嬉しくなりました。

あらまぁ、なんと良い一日だったじゃないか~ !!

『月刊神戸っ子』2018年4月号の瀬戸本淳氏の「神戸秘話 神戸とオリーブと小妖精・久坂葉子と父・川崎芳熊」で、久坂葉子(川崎澄子)が住んでいた山本通り三丁目(現在の神戸北野ホテル)に、明治12年に明治政府の勧農政策により「神戸阿利襪(オリーブ)園」が開設さたことを知りました。

神戸北野ホテルの玄関アプローチにはオリーブの樹が植えられ、掲示板もありました。

神戸は水はけが良く、気候も温暖でオリーブ栽培に適していたこともあり、フランスから輸入したオリーブの試験栽培を国内で初めて実施し、明治15年には近代園芸の祖・福羽逸人の指導の下、搾油にも初めて成功したそうです。しかし、明治政府の財政難から事業の存続が困難となり、同園の土地払い下げが決定。同41年に閉鎖されたとのこと。

瀬戸本 淳氏は久坂葉子をオリーブの花になぞらえて次のように述べています。
<オリーブの葉の表は光る濃緑色、裏は銀白色でとても美しい。初夏にはいい香りの小さい白い花がまとまって咲き、あっという間に満開、そして一気に散る。まるで久坂葉子のようだ。ちなみに湊川神社のオリーブの古木は「神戸阿利襪(オリーブ)園」ゆかりの樹で、樹齢約140年、わが国最古といわれている。>

湊川神社にそのオリーブの古木があると知り、早速訪ねてみました。

高速神戸駅を降りると、すぐそこが湊川神社。

大変広い境内で見つけることができるかと思っていましたが、表門を入ってすぐ左手にその木はありました。

樹齢140年にもなろうかというわが国最古といわれているオリーブの古木、こんなに高くなっているとは。支柱で囲われていました。

幹が太くなって、本来つるつるの樹皮がまるで楠木のようになっています。

上の方まで見るとオリーブに間違いありません。

久坂葉子を訪ねて、日本最古のオリーブの樹にたどり着くとは思いもよりませんでした。